2011
10.28

クラブの月例会結果(10/28)

Category: ボウリング
☆クラブ月例会(10/28)
同じボックスは、T村さんとH田さんとI崎さん。

・1G目
オイルが変についてくるような早めのレーン。ちょっと苦手かも‥
ダブルスタートのターキーありも2回のイージーミスで196点とマイナス。

・2G目
ストライクが続かず、スプリットも出て、176点と大幅なマイナス(泣)

・3G目
やっとオープンも無くダブルが2回出て今日初めてのプラス、216点。
前半3Gは、トータル588点でちょっとのマイナスで終了。

・4G目
移った後半のレーンはちょっと遅めな感じ。ストライクスタート。
ターキーも出てミス無しの218点とやる気の出る得点。

・5G目
5フレのスプリットメイク&その後のダブルで出るものの190点。

・6G目
ダブルスタート。しかし2連続ミスなどもあり166点と大幅なマイナス。

最終結果:合計1162点(アベレージ194点)で17位。
2週連続でマイナススコアとなってしまった(^^;
たけやんさんとの勝負は2勝4敗で負け。
今回のオープンは8個(内イージーミスは4個)と多かった。

……………………………………………………………………………………………………………

*吉祥院クラブの月例会結果(4月~)
・ゲーム数:138G
・アベレージ:204.4点
・ハイゲーム:300点
・イージーミスの回数(1G当り):0.58回

*年間結果(京都での月例会や対外試合などすべて)
・合計ゲーム数:210G
・アベレージ:203.7点
・ハイゲーム:300点

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2011
10.26

思い出の扉:「入院(2004.10.5)」

Category: 思い出日記
生きていると色んなことがあります。怪我や病気も‥
我が家でも家族が何度か入院しています。
そこで、入院の思い出を書いた記事をアップします。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

*「入院(2004.10.5)」
『平成16年の8/26の夕方、うちの奥さんから電話があった。実は若い頃から調子が悪かった右耳の手術を9月3日(金)にすることになっており、その事前の精密検査の結果が出たので本日病院に聞きに行っていたのである。何となく携帯電話から聞こえてくる声にいつもの元気が無く、聞いてみたところ「思っていたよりも症状が重く、耳の後ろを切開して手術をすることになった」らしい。それに今回の精密検査で鼓膜と骨が癒着していることもわかり、その部分を削除し他人の骨を移植する必要があり、これにともなって「手術をして、もしものことがあっても病院には責任はありませんよ」って内容の承諾書を書かなくてはならなくなった。

 そういえば数年前に息子も子供の頃からの中耳炎が悪化してしまい手術により1週間くらい入院したことがある。ちょっと親子の絆?を感じる。今回の手術の担当医は息子の時と同じベテランの先生なのでホッとした。実は、今回の耳の検査を初めてした時は若い先生で「耳はそれほど悪くありませんね。頭が痛いのは偏頭痛でしょう!」と言って頭痛薬をくれただけだったらしい。うちの奥さんは、「そんなことはない」と思って、すぐに息子の時の先生に診てもらったら今回の症状が見つかりすぐに手術となった経緯がある。もし、今回このまま何も処置をしていなければ更に骨が解けて脳に影響を及ぼしていたかもしれない。重症の時には腕のいい先生に診てもらうことの大切さを知った。

話を元に戻そう!

 入院が9/2(木)だったので会社を休んで病院まで送って行った。彼女は気丈に振舞っていたが、不安だったに違いない。「脳に近いと言うこともあり、手術により難聴、味覚障害、半身不随、骨の移植による弊害等が起こる可能性がある」と先生に言われていたからである。

 そして手術当日。もちろん私は会社を休んで朝早くから病院にかけつけた。手術は朝の9時に開始。移動用のベッドの横について手術室の前まで見送って行ったが何ともいえない気分だった。それから私は病院の控え室で手術が終わるのを待つことに。先生からは「うまくいくとお昼前には終わります。」と言われていたが、それでも3時間はかかると言うことは、思ったよりも難しい手術であることを実感した。手術が成功するように祈りながら過ぎていく時間の中に身を置いていた。そして予定の12時が来ても手術室から戻ってくる気配は無い。病室で待っている方が確実だと思い、待合室から病室に移動。そして12時30分を過ぎた頃にベッドに横たわったままビクともしない状態でうちの奥さんが戻ってきた。朝、手術室に入る前に看護士さんが「麻酔は完全に覚まして戻ってくる」と言っていたので心配になった。その後、検査の後、呼ばれて病室に入ると、細目を開けたうちの奥さんがいた。まだ麻酔が完全に覚めていないので反応が鈍い。右耳には大きなガーゼ?が包帯で巻かれており、痛々しい。先生によると手術は成功したらしい。「体質の為か鼓膜が薄く、どうしても外圧のために鼓膜が内側に押される傾向にある」とのことで、鼓膜を補強してトータル厚を厚くしてくれたらしい。後はこのまま順調に回復して家族の前に元気な姿を見せてくれることを願うだけだった。

 そして何とか予定通りの2週間で退院することができたが、その間、子供達は不自由な生活を強いられた。特に朝食と夕食が大変だった。私がいる時はスーパーでお寿司などのできたものを買ってくるので何とかなるのだが、平日は子供達だけで火を使うのは危険なので、どうしても電子レンジで温めて食べれるものになってしまう。例えば、ピザ、たこ焼き、グラタン、ピラフ、ハンバーグなどの冷凍食品、食パンやコーンフレークなどである。子供達は文句も言わず、乗り切っていった。今回のうちの奥さんの入院で一番頑張ったのは次女だろう。次女はみんなが嫌がる洗濯をほとんど一人でやっていた。病院から持って帰ったうちの奥さんの洋服や家族の洋服なども1日2~3回洗濯をして庭に干して乾くと取り込んでいた。いざと言う時に動ける次女に感心した。長女と長男はそれぞれ別の担当を一応こなしてはいたが‥

 うちの奥さんが退院してからもうすぐ3週間がこようとしている。手術前に比べて気分が悪くなることは少なくなり、頭痛も減ったらしい。ただ、まだ右耳の鼓膜は治療中(2週間に1回通院)だし、聴力検査なども実施していないので何ともいえないが着実に良くなっていることは間違いないと確信している。

 そうそう、入院と言えば次女の入院回数には適わない。小さい時は小児喘息で低気圧が近ずくと必ず発作を起こして病院へ直行。その後、吸入や点滴をしても治まらないときはそのまま入院。小学生になるまでは毎年数回入院していた。しかし、自宅で吸入器を購入してからは今の中学3年生になるまで入院はしていない。

*私と長女は未だに入院の経験がない。できればこのまま入院をしないで済ませたいものだ(o^_^o)』

《追伸》
この記事を書いてから7年が経ちましたが、この間には入院した家族はいません。良かった、良かった(^^)

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2011
10.25

思い出の扉:「救急車(2004.9.27UP)」

Category: 思い出日記
あまり乗りたく無い車、救急車!
この救急車にまつわる記事をアップします。

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*「救急車(2004.9.27UP)」
『なぜこんなタイトルにしたかというと、我が家はこの救急車に大変お世話になっているからである。
思い起こせば家族で最初に救急車に乗ったのは、妻と私だった。結婚して1年が過ぎた頃、妻がインフルエンザにかかってしまったのだ。妻はもともと扁桃腺が腫れ易いタイプだったのでこの時は高熱が何日も続いた。さすがに私も心配になって、近くの病院に往診してもらおうと電話した(妻はもう体力がなくなっており、車で病院に行く力はなかった)。すると病院の先生は「うちでは往診はしていません。もし緊急を要するのでしたら、救急車を呼んだ方が良いですよ。すぐに診察してくれますから」といって、救急車を推薦した。私はもともと救急車を呼ぶつもりはなかったが、先生が言うように今は呼んだ方がベストかもと思い、「119番」通報した。色々状況を聞かれたが、すぐに救急車はやってきた。「妻は動けない」と言ったら、救急隊員の人が2階まで上がって妻を背負って降りてきた。それから近くの総合病院まで私も一緒に救急車に乗った。案外、救急車は乗り心地悪かった。程なくして病院について、救急入口から担架で運びこまれた。もちろん待つこともなく。その日は点滴をして、即入院。その後、約1週間入院した。この日の出来事を近所の人が見ており、その後「あそこの奥さん、流産したみたいだよ」っていう噂が広まった。まだ子供できてなかったのに‥
その後、子供が3人生まれてからは子供が救急車に乗ることが多くなった。
例えば
(1)妻が自転車に子供3人を乗せていて、交差点で車に追突され、病院へ直行。たいした怪我も泣く診察だけですんだ。

(2)長男が3歳の頃、手に持っていたガラスのコップをテーブルで割ってしまい、その破片が右目に入って出血。幸運にも瞳は外れており大きな怪我とはならなかった。

(3)自宅で遊んでいた長男がこけたときに、偶然何かの角で右目のすぐ上5mmのところを切り出血。もう少し下だったら右目は失明したかもしれない。

(4)長男が幼稚園に入った頃、道路を歩いていて自転車と衝突。帰宅して気分が悪くなったので病院へ。最初レントゲンで見た時に「頭の中に何か塊が見える」というとんでもないお言葉が。すぐにCT検査をする。しかし、何も問題は無かった。

(5)長男が小学校の頃、母親の自転車の後ろに乗っていて、何故か後ろのタイヤとタイヤを支えている棒?との間に左足を挟んでしまい大出血! 今も痕が残っている。

(6)公園で遊んでいた次女が、友達の漕いでいたブランコの下に入ってしまい、オデコをブランコをとめている金具で強打。今でもオデコのこの部分が少し凹んでいる。

その他、救急車には乗らなかったが大きな怪我はしている(例えば次女が昨年の夏、滑り台から転がってくるボールを蹴ろうとして間違って滑り台の下のコンクリートを蹴ってしまい、右足の親指骨折。全治1ヶ月)。思い出すと、長女はほとんど怪我や病気をしていないが、長男は怪我も病気も多い。どうしても男の子は活発だから怪我も多いのかな。しかし最近ではあまり大きな怪我もせず、みんな元気に生活している。』

《追伸》
7年前にこの記事をアップしてから今日までに、救急車には乗っていない怪我を参考に追加すると、
・2006年5月頃、長男がバイクに乗っていて車に衝突。幸いたいした怪我も無く通院で完治!
・2010年4月22日に次女が自転車でこけて右足親指付近を強打してヒビが入る!
できれば誰ももう救急車に乗る機会が無いことを祈るだけです(^^)


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2011
10.24

思い出の扉:「引越し(2009.8.13UP)」

Category: 思い出日記
今は単身赴任の為に京都に住んでます。
早いものでもう京都に来てから2年が経ちました。
今回は私の引越しのことについての記事を載せたいと思います。

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*「引越し(2009.8.13UP)」
『私は公務員ではなく普通の会社員なんですけど、何故だか引越しが多い。
ここで引越しのことを少し思い出してみました。

     転居元            転居先       目的(転居先での居住年数)
1.善通寺市の実家(香川)⇒八王子市の独身寮(東京):就職のため上京(2.5年)

2.八王子市の独身寮(東京)⇒戸塚区の専門学校の寮(神奈川):会社の専門学校に入校(1.5年)

3.戸塚区の専門学校の寮(神奈川)⇒八王子市の独身寮(東京):専門学校を卒業して元の独身寮に戻る(1年)

 《以下は家族での引越し》

4.八王子市の独身寮⇒八王子市の民間アパート(東京):結婚して2DKのアパートに住む(0.5年)

5.八王子市のアパート(東京)⇒相模原市の一戸建て(神奈川):卓球部の部長宅を借りて住む(3年)

6.相模原市の一戸建て(神奈川)⇒八王子市の社宅(東京):会社の社宅へ移る(2年)

7.八王子市の社宅(東京)⇒堺市の社宅(大阪):会社から大阪の大学へ国内留学(1年)

8.堺市の社宅(大阪)⇒八王子市の社宅(東京):会社の社宅へ戻って来る(3年)

9.八王子市の社宅⇒昭島市のマンション(東京):子供が大きくなったのでマンションを購入(4年)

 《以下は私だけ引越し》

10.昭島市のマンション(東京)⇒茅ヶ崎市のアパート(神奈川):製品化のために工場へ長期派遣(1.5年)

11.茅ヶ崎市のアパート(神奈川)⇒昭島市のマンション(東京):自宅に戻って来る(2年)

12.昭島市のマンション(東京)⇒水海道市の寮(茨城):製品化のために長期出張(0.5年)

13.水海道市の寮(茨城)⇒昭島市のマンション(東京):自宅に戻って来る(4年)

14.昭島市のマンション(東京)⇒水海道市の寮(茨城):転属のため単身赴任(1.5年)

15.水海道市の寮(茨城)⇒守谷市の独身寮(茨城)へ移動(5.5年)

16.守谷市の独身寮(茨城)⇒2009.8.17に京都工場の敷地内にある独身寮(京都府)へ(5.5年)

17.独身寮(京都)⇒2015.3に早期退職して近くのマンションに引っ越し(京都)(2年)

18.京都のマンション(京都)⇒2016.12に昭島市のマンション(東京)に戻る

 このうち、結婚してからの家族での引越しは6回もあり、今では家具は傷だらけになっています。
一番短い居住年数は0.5年。長くても5.5年。これからの単身赴任は定年まで続く?
いつになったら同じ場所でゆっくり家族と過ごせるのだろうか(でも子供たちは大きくなって
親元を離れていくだろうから、最後はやっぱり妻との二人生活が一番長くなるのでしょうか‥)。』

《追伸》
これまでに長くても5.5年過ぎると引越しをしてます(私のみ)。
今の京都での単身赴任生活がもし定年まで続くとするとこの寮で8年間は住むことになります。果たして、最長記録を更新することになるのでしょうか‥

【追加】  2016.5.29
2015.3~独身寮から17回目の引っ越しをしました。2月末をもって会社を早期退職し、近くのマンションに今住んでます。
もう少し京都の地で人生をエンジョイします(^^)

[再追加] 2017.10.1(久しぶりにブログを見ていたら最新版に修正したくて)
2016.12中旬に約8年間の京都での単身生活にピリオドを打ち東京の自宅に戻ってきました(妻との時間を作るため)。
先日、還暦を迎えました。もう当分この地を離れることもないと思います。次に引っ越すときはどんな時???
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2011
10.23

思い出の扉:「フォークソング(2003.4.27UP)」

Category: 思い出日記
私の青春時代はフォークソングと共に生きた時代でした。
思い出の曲も多く、今でも懐かしく車の中で聞いています。
フォークソングの後はニューミュージックという呼び名になって
音楽における一つの時代が終わった気がしたものでした。

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*「フォークソング(2003.4.27UP)」
『なんとなく懐かしい響きの「フォークソング」。私の青春時代に欠かすことが出来ないものの一つである。
私が初めて「フォークソング」と言う言葉に接し、かつこのジャンルの音楽を知ることになったのは中学2年生の時。1970年代になって少し経った頃である。
この頃こんな歌が流行っていた。「僕の髪が肩まで伸びて君と同じになったら~」。そう吉田拓郎の「結婚しようよ」である。この歌が気に入り、「フォークソング」にのめり込んでいったのである。もちろん、拓郎のレコードは買いまくった。そしてギターで曲を引いたりしていた(うまくないが‥)。
井上揚水や小椋桂も好きだった。かぐや姫、グレープ、アリス、風、イルカ、ユーミン、ふきのとう‥ そして何よりも私にとって重要な意味を持つフォークグループがあった。
それは「NSP」(ニュー・サディスティック・ピンク、またの名を、納豆・ソラマメ・ピーナッツ)。メジャーな歌としては「夕暮れ時は寂しそう」がある(でも知らない人の方が多いだろうな)。このグループは私よりもうちの奥さんが好きだったのである。デートの時は小さなラジカセを持って行き、NSPの曲を聴きながら人生を語ったものだ(笑)。あの頃はNSPのコンサートにもよく行った。いまでもNSPのCDを聞くとあの頃の思い出が浮かび上がってくる。もう25年以上も前のことなのに‥』

《追伸》
この記事をアップした約2年後の2005年7月1日に、NSPのボーカルである天野茂さんが52歳で脳内出血のため亡くなりました。このニュースを聞いた時は本当に信じられませんでした。生きていれば今は58歳。まだまだ現役でコンサートを開いてくれていたことでしょう。今、NSPの歌が無性に聞きたくなりました‥
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2011
10.22

思い出の扉:「自転車(2005.3.3UP)」

Category: 思い出日記
自転車は多くの人が使っている物の一つと思われます。
今回は身近な自転車にまつわる思い出の記事をアップしたいと思います。

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*「自転車(2005.3.3UP)」
『私が始めて自転車に乗ろうと思って挑戦したのは確か小学校5年生の終り頃。田舎では中学校までが遠くて自転車でないと行けないので仕方なく練習することにしたのである。
その日は、朝から実家の近くにあるお寺の前の広場で兄貴に手伝ってもらいながら練習を開始。最初は荷台を持ったままで一緒に走ってくれた。何度も転びそうになりながらも少しずつ安定してきた。そして悲劇は前ぶれもなく起こった。今度も兄貴が荷台を持ってくれているとばかり思っていたら、その時は手を離して一緒に着いてきてくれていなかったのである。転びそうになって「アッ!」と思った時には、道路際の小さな川に頭から突っ込んでいた。その時の模様が頭から離れず、中学生になっても夢に出てきたほどだ。でも程無くして何とか乗れるようになり、中学校へは自転車で行けるまでになった。これも兄貴のお陰かf(^_^)

中学に入る前に一番最初に買ってもらった自転車は、3つのヘッドランプが着いたサイクリング車(^-^)v 当時3つ目は珍しくて買ってもらってうれしかった記憶がある。何とこの自転車は速度が速い時は3つともランプが点灯して、ゆっくりの時には真ん中のランプのみが点灯した。荷台側の後ろのランプは止まっている時でも1つのランプが点いていた。とっても気に入って学校へ行くのが楽しみになっていた(o^_^o)

高校の時も自転車通学だった。中学校までの距離が4kmだったが、高校までは6kmとちょっとだけ遠くなった。高校は駅からすぐのところにあったので、冬の間たまに1ヶ月くらい列車の定期を買って通ったことがある。四国といってもやっぱり冬は寒いのである。ある時、自宅から駅までの通学に使っていた自転車が盗まれた。駅の駐輪場にちゃんと鍵をかけていたのに‥。仕方が無いので兄貴のお古の自転車を借りることに。しかし1週間もしないうちにまたもやその自転車は忽然と消えた。もうショックだった。“どうして俺の自転車ばかり盗まれるのや~” その日から1ヵ月後、私の自転車を高校近くの駅付近で発見した。偶然、列車に乗っていて見つけたのである。すぐに、交番まで自転車を引いていって事情を説明し、自転車屋さんでパンクを直して自転車で帰ってきた。結局、兄貴の自転車は数ヵ月後バラバラになった状態で見つかった( ̄○ ̄;)!

 そういえば、高校の時は健康の為&気分転換の為、サイクリングに良く出かけていた。休みになると、一人で自転車をこいで観音寺方面や坂出方面(府中ダム)へ出かけた。夕日を受けながらのんびりと帰ってきたのが昨日のようである。あの頃は元気だった…

 今は子供達も大きくなって我が家では一人1台の割合で自転車がある。しかし、今住んでいるマンションでは、駐輪代として年間で1台目は300円なのだが2台目から何と3000円になるw(゜o゜)w 5台も止めると12300円/年にもなってしまう。仕方がないので、今は普段良く使う4台(9300円/年)だけ止めている(;;)

 最近、近くのデパートに行った時に、「パンクをしない自転車」が売られていた。タイヤの中に樹脂が入っているらしい。普通のよりも5000円くらい高かったけど案外良いかもしれない。我が家は自転車の台数が多いせいか、しょっちゅうパンクしているので(;^_^A

 ここ数年はあまり自転車に乗らなくなった。遠くに行く時は車で出かけ、近場は歩いて出かける。今年は思い切って季節が良くなったらサイクリングがてら遠出しようかなぁ(o^_^o)』

《追伸》
実は先日、うちの奥さんから電話があり、「長女も電動自転車を買った」らしい。これで我が家は電動自転車が3台あることになります。私専用の自転車は前から無いので、東京で自転車を乗る時には誰かの電動自転車を借りることになりそうです(^^)
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2011
10.21

クラブの月例会結果(10/21)

Category: ボウリング
☆クラブ月例会(10/21)
同じボックスは、T村さんとY田さんと女性のK山さん。

・1G目
ダブルスタート。その後も200ペースで進むも9フレでイージーミス。
終わって見れば188点と冴えない結果に。トホホ‥

・2G目
3回もスプリットが出てしまい、イマイチ盛り上がらない状況に。182点(泣)

・3G目
このゲームもストライクが続かず、オープンが2個出て178点
前半3Gは、548点で大幅なマイナスで終了。

・4G目
移った後半のレーンはちょっと投げやすい感じ。スタートから5連続ストライク。
こんなにもレーンによって変わるものか‥ 226点と今日初のプラス。

・5G目
ターキースタート。しかし4フレでスプリット。その後はターキーが2回出て
234点とトータルでもプラスになった。

・6G目
最後は200アップを目指すも、3連続スプリットで万事休す。168点

最終結果:合計1176点(アベレージ196点)で16位。
たけやんさんとの勝負は2勝4敗で負け。
今回のオープンは10個(内イージーミスは4個)と多かった。

……………………………………………………………………………

*吉祥院クラブの月例会結果(4月~)
・ゲーム数:132G
・アベレージ:204.9点
・ハイゲーム:300点
・イージーミスの回数(1G当り):0.58回

*年間結果(京都での月例会や対外試合などすべて)
・合計ゲーム数:204G
・アベレージ:204.0点
・ハイゲーム:300点
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2011
10.16

35年ぶりのお祭り

Category: 家族
田舎(香川県)に住む兄貴から「今年のお祭りは10/15と10/16にある」との連絡を受け、メチャ久しぶりに田舎のお祭りを見に10/16(日)に帰省して来ました。実は昨年の秋に私の母親のお見舞いの為に帰省した時に、今も田舎ではお祭りをやっていることを知り、妙に懐かしくなって「来年の秋祭りの予定が決まったら連絡をほしい」って兄貴に頼んでいたのでした(^^)

田舎のお祭りには中学生くらいまでは毎年見に行っていたような記憶があるので、何と35年ぶり?のお祭りかもしれません。ただ、田舎のお祭りは御神輿が一つと獅子舞が4つしか出ないこじんまりとした地域密着型のお祭りです。

この日はお昼過ぎに田舎へ着く様に京都を出ました。
予定よりもちょっと早く着いたので、お墓参りをしました。お墓からは、獅子舞が行われる池の土手が見えます。今日はお天気も良くてお祭り日和です。
20111016-2.jpg お祭りの、のぼりが立ってました

お祭りの前に、私の母親のお見舞いに行って来ました。母親は痴呆症で病院兼用の老人ホームに入っています。私のことを息子とはわからないのですが、産んで育ててくれた母親への感謝の気持ちで毎回接しています。孫のビデオを見せると喜んでくれますが、ちょっと切なくなることもあります‥

池に御神輿が担がれてくる時間が来たので、会場へ向かいました。
20111016-3.jpg お御輿へのお祈り?

この広場は私が小学校の頃の遊び場で、ここにそびえ立っている大きな楠に登って友達と宇宙基地として遊んでいました。今の子供達はそんな遊びはしないんでしょうね。
20111016-4.jpg いつの間にか御神木の碑が立っていたりして

お御輿へのお祈りが終わるといよいよ獅子舞の披露です。今は3つの部落から4つの獅子舞が来ています。獅子舞の時の音楽といい、獅子舞の動きといい、昔に戻った感じで何だか感動しちゃいました!
20111016-5.jpg 黒の獅子舞

20111016-6.jpg 白の獅子舞

獅子舞を踊っている人達は今風の20代若者が多く、太鼓をたたいている人は子供が多かったです。それにしても激しい動きなので獅子舞の人達は疲れると思います。だいたい10分くらいすると次ぎの人と交替するのですが、少しの間倒れたままの人もいました。私には絶対できないと思ったりもしました。

そこに30分くらいいて、帰りのことも考えてPM4時前に出発することにしました。
20111016-7.jpg まだまだ獅子舞は続いています

帰りは与島PAに寄ってお土産を買いました。
20111016-8.jpg 瀬戸大橋

また来年もお祭りの時期に帰省したいなって思っています(^^)

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2011
10.15

思い出の扉:「たばこ(2003.5.10UP)」

Category: 思い出日記
最近、たばこ税の増税をどうするかのニュースが話題になっていますが、
このたばこの栽培に関してアップした記事を今回は載せます。

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*「たばこ(2003.5.10UP)」
『私のHPをご覧の皆様の中にも「タバコ」を吸われる方も多いと思う。
実は私が小さい頃は香川県の実家でタバコの葉を栽培?していたのである。
今は栽培するのに制限(ある年に土地面積が多いと作れなくなった)があって、もう実家では止めている。
ここでタバコの栽培に関しての思い出を書くことにする(私の家ではタバコの葉っぱの苗植から乾燥までをやっていた)。
まず、農協からタバコの苗(2cmくらいの大きさ)を購入する。
自宅の庭にタバコの苗を植えるハウスを作っており、6cm四方の枠の中に1本1本苗を植え大きくなるまで世話をする。
そして高さが4~5cmくらいに大きくなったら、田んぼへ植え直す。
田んぼには50cm幅で苗を植える土の山が何本も作っており、そこに穴を掘って1本づつ苗を植えていく。
そのあと、その土の山ごとにビニールハウスを作っていく。
この状態で何日か水をやりながら大きくなるまで育てる。
高さが1mくらいになると花をちぎって葉に栄養が行くようにする。
そして2mくらいになったら下の方の葉から親がもいでいく。
もいだタバコの葉っぱを家で待っていた子供たちが機械を使って編んでいく。
編むとは、3mくらいの長さのねじれた2本の縄の間に1本づつ葉っぱを入れていき締め付けて縄から葉っぱが抜けないようにすることをいう。
この時、葉っぱの大きさやもいだ位置(下なのか上なのか)によって予め分けてある。
このようにして編んだタバコの連を、乾燥場に干して何日もかけて乾燥させる。
乾燥場に吊るすのがまた大変で家族総出でやっていた。またびっしりと吊るす為、汗だくの仕事である(この後で、飲むソーダ水やスイカの味が今でも忘れられない)。
その後、数日間乾燥させた後タバコの連を乾燥場から出し、それぞれの連ごとに1つの束にする。
この束を重ねて置いていき、山になったところで重石を置いてぺっちゃんこにする。
そして数日経った頃に、農協からタバコの葉っぱの良し悪しを判断できる専門家が自宅まで来て、ランク別に選り分けていく、その結果によってその年の収入がきまる。
主に、下の方からもいできた大きな葉っぱはニコチンが少ない為に葉も柔らかく、高く売れる。
上の方からもいできた小さな葉っぱは乾燥するとコゲ茶色になりバラバラになりやすい。
これらはニコチンが多いため安い。また、タバコの葉っぱを編んだり、乾燥場にタバコの葉っぱの連を吊るすのは子供もやるのが当たり前で、夏場は休みはもちろん平日でも手伝っていた。
このように家のお手伝いをすることによって知らず知らずのうちに家族の絆が深まっていたのであろう。
懐かしい思い出である。』

《追伸》
ここ数年は煙草を吸う人の割合が減ってきているらしい。
そう言えば、私の会社の人の中にも止めた人が何人もいる。
健康の為には吸わない方がいいと個人的には思いますが‥
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2011
10.14

クラブの月例会結果(10/14)

Category: ボウリング
☆クラブ月例会(10/14)
同じボックスは、H田さんと女性のT内さんとTuさん。

・1G目
何と1フレから9フレまで9連続ストライク。もしかして3回目のパーフェクトかって感じに一瞬なったが、そううまくいかなくて10フレ1投目で1本残り(泣)。でも279点と最初からハイゲームが出せたので良かった!

・2G目
不思議なもので良い得点を出した次のゲームは一般的に悪くなることが多い(^^; 私もこの予想にもれずこのゲームは2回スプリットが出たりして190点とマイナスに。

・3G目
2回ほどイージーミスが出たものの、後半で怒涛の7連続ストライクで227点まで頑張った。
前半3Gは、696点で久しぶりの大幅プラスで終了。

・4G目
移った後半のレーンは少し遅めで難しい。最初からイージーミス。トホホ! 結局ターキーが出たものの、3回もオープンで183点

・5G目
ターキーが1回出たがイージーミスも1回あり、206点と何とかプラス。

・6G目
最後は疲れのせいなのかミスが多くなり、165点とローゲームで終了。ガックシ!

最終結果:合計1250点(アベレージ208.3点)で4位
ハイゲームも取れたし、久しぶりに入賞できてうれしい(^^)
たけやんさんとの勝負は4勝2敗。
今回のオープンは12個(内イージーミスは8個)と多かった。

……………………………………………………………………………

*吉祥院クラブの月例会結果(4月~)
・ゲーム数:126G
・アベレージ:205.3点
・ハイゲーム:300点
・イージーミスの回数(1G当り):0.58回

*年間結果(京都での月例会や対外試合などすべて)
・合計ゲーム数:198G
・アベレージ:204.3点
・ハイゲーム:300点

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2011
10.13

思い出の扉:「子供の頃の遊び(2003.9.20UP)」

Category: 思い出日記
今回は私が子供の頃にやった遊びを紹介した記事のアップです。
今の子供達は外で遊ぶことは少なくなっているのかもしれませんね。

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*「子供の頃の遊び(2003.9.20UP)」
『 最近、ふとしたことで子供の頃の遊びについて友人と語る機会があった。そういえば田舎(香川県)での子供時代は遊んでばかりいた気がする。そこで、私が子供の頃よくした遊びを、この際このコーナーに残しておきたいと思う。一応いくつか選んで下に書くが、要するに子供の頃は何でも遊びの道具になってしまうのである。

・ビー玉:これは全国的に流行っていたと思う。このビー玉にも種類があり、直径3mm~
     20mmのものや、中に模様があるものもあった。いろんな種類を集めるのが
     楽しかった。ここでは自分達がやっていたビー玉の遊びについて書く。
 (1)十字:地面に十字の線を掘り、その線上にビー玉を数個置く。そして、5m
       くらい離れたところから、順番に手持ちのビー玉を1個転がす。転がした
       ビー玉が線上のビー玉に当り、線上から外れると自分の物になる。
       この時、十字の真ん中のビー玉を取ると、その時点で残りのすべての
       ビー玉を取れる。
 (2)三角:これも十字と同じで、地面に三角形の枠を作りその中にビー玉を入れる。
       そして離れたところからビー玉を転がし、枠から出たビー玉を取れる。ただ
       投げた自分のビー玉が枠の中に入ってしまうとそのビー玉はそのままに。
 (3)地獄:地面に十字の先の位置に穴を掘る。そしてまず手前の穴に入れる。最初の頃
       は、ビー玉を地面につけたままで親指と人差し指でつまんで転がす。手前の
       穴に入ったら次は真ん中の穴に入れる。次は左の穴へ。また真ん中の穴へ。
       次は右の穴へ。また真ん中の穴へ。そして今度は一番遠くの穴に入れる。
       ここが天国といわれるところ。ここに入れて、真ん中の穴、そして手前の穴
      (ここは地獄)に入れると、なんと相手のビー玉にぶつける事ができる。
       ぶつけられたビー玉はぶつけた人のものに。また地獄に入ったあとは、
       ビー玉を地面につけている必要はなくなり、ビー玉を持って立った状態で
       ぶつけることもできる。

・パッチン:これは一般的にはメンコという。田舎でも昔は流行っていて、学校から帰ると
      友達のうちへよく行ったものだ。
      普通は四角い枠を地面に書いて、その中に数枚パッチンを置く。そして順番に
      手持ちのパッチンを使って、相手のパッチンを枠の外に出すか引っくり返す。
      そうなったらそのパッチンは自分のものになる。
      パッチンの種類も豊富で、四角いのから丸いもの、小さいものから葉書よりも
      大きいもの、絵柄も色んなものがあった。

・チャンバラ:家の近くにお寺があり、その塀の中に細長い植物が生えていた。名前は分か
       らない。その植物の芯はしっかりしていたので、根元から折り、皮を剥いで
       剣にして遊んだ。ただし、持つところの皮はそのままにして。そして友達と
       塀の上を走り回ったり、剣を振り回してよく遊んだものだ。

・ぐだま鉄砲:これは紙鉄砲と同じ要領で、20cmくらいの長さに竹の筒を切って、その
       中にちょうど入るくらいの大きさに削った割り箸を作る。
       この竹の両側の穴に“ぐだま”(中心に硬い塊がある小さな植物の実)を
       詰めて片側から割り箸を入れて押すと、「ポ~ン」と音がして反対側の
       “ぐだま”が飛んでいく。これで友達と撃ち合いをして遊ぶ。
       たまに“ぐだま”のかわりに“スギの実”を使うこともある。

・石蹴りの一つ:近所の広場に行って、手前と10m先に線を引く。そして「1」から
       「10」まで順番に試技し、早く「10」までいった人が勝ち。
        四角く割った瓦か四角い形の石を用いる。以下は二人対戦の場合。
     「1」:手前の線上から10m先の線上に立てている相手の石に自分の石を
         ぶつけて倒す。
     「2」:手前の線上から1歩で届くくらいのところに石を投げ、その石の上 
         に1歩で飛んで足が触れた後、手に持ってその位置から投げる。
     「3」:手前の線上から2歩で届くくらいのところに石を投げ、その石の上
         に片足飛び2歩で飛んで足が触れた後、手に持ってその位置から投
         げて相手の石を倒す。
     「4」:手前の線上から走って行き、交互飛び4歩目で股の間から石を投げ
         て相手の石を倒す。
     「5」:手前の線上から走って行き、交互飛び5歩目で股の間から石を投げ
         て相手の石を倒す。
     「6」:手前の線上から6歩で届くくらいのところに石を投げ、片足飛びで
         その石の上に6歩で足を触れ、その位置から足で蹴って当てる。
     「7」:手前の線上から7歩で届くくらいのところに石を投げ、片足飛びで
         その石の上に7歩目でその石を足で蹴って当てる。
     「8」:手のこぶしの上に石を乗せて、8歩目で相手の石にぶつけて倒す。
     「9」:両足の靴の間に石をはさんで、両足飛びで9歩目で相手の石に放り
         投げて倒す。
     「10」:手前から相手の石の近くに自分の石を投げる。そして10歩で歩いて
         その石を持ち、目をつぶって相手の石に当てて倒す。

・紙隠し:土に小さな枠を作る。そしてその枠の中に小さな紙を隠す。それを相手が
     目で見てその隠している場所を当てる。ただこれだけ。

・金コロ回し:将棋の駒の「金」を4枚用意する。そして最初は「歩」を将棋の盤の隅に置
       く。まずは4つの駒を手に持って、盤上で転がす。その時の残り方で自分の
       駒の進む数が決まる。例えば、駒が寝ているものは1マス、駒が1個横に立
       った場合には5マス、駒が1個縦に立った場合には10マス、そして駒が
       1個頭の方で立った場合は100マス移動させることができる。立った駒の
       数に応じて加算される。この時、駒が重なった場合や駒が盤上から1つでも
       出た場合には進むことはできない。このようにして隅から盤上の外周を回り
       1周してくると今度は「香」になり、次の1周では「桂」になり、‥‥‥
       最後は「王」で1周して自分のスタートした隅まで戻ると、今度は盤の中央
       に向かって駒を進ませ、早く中央で止まった方が勝ち。

・野球:小学校の頃にあこがれてやるのが野球。もちろん軟式。私も小学校でチームを
    作って練習をしていた。私のポジションは、センターかレフト。強肩だったのだ。
    ある時、7つ上の兄貴(高校生)と家の庭でキャッチボールをしたことがある。
    兄貴は中学の頃は野球部でピッチャーをやっていたが肩を壊し高校ではやっていな
    かった。とにかく凄い球を投げる。キャッチボールの時に球をとりそこなって顔面
    にぶつけたことがある。いまだにあの時の球が飛んできている光景を覚えている。

*缶けり、かくれんぼ、コマ回し、ドッジボール、ゴム飛び等まだまだ遊んだ記憶がある。
 大人になってほとんどやることがなくなったが、いつの日か子供達とやりたいなぁ。』

《追伸》
実は、上に書いた遊びをまたやりたいなって密かに思っています。もう私の子供達は20歳を過ぎたので無理ですが、孫が小学校くらいになったら一緒にやろうかなぁ(^^)
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2011
10.12

恒例の夫婦旅行(3日目):京都市美術館&哲学の道

Category: 旅行
*夫婦旅行3日目(10/12)
いよいよ旅行も最終日。
本当は琵琶湖に来たのでバス釣りをしたかったのですが、ここは我慢。
(いつもなら、うちの奥さんが寝てる間に朝早く釣りに出かけるのですが‥)
20111012-0.jpg 部屋から琵琶湖が一望

20111012-3.jpg 長浜港の防波堤は草ぼうぼう

朝食を食べて湖畔を散策。
20111012-2.jpg 長浜城が綺麗です

今回の旅行の目的の一つが、「京都市美術館でフェルメールの絵画を見ること」。
以前、TVでも紹介していましたが、《手紙を読む青衣の女》は修復後世界初公開!
これを見たくてうちの奥さんが京都へ来たのでした(^^)
20111012-4.jpg 立派な京都市美術館

この日は平日にもかかわらず混雑してました。順路の最後に《手紙を読む青衣の女》を飾っていたので
実際に絵を見ましたが、青色の素晴らしさが良くわかりませんでした(^^;

このあと、京都市美術館から「哲学の道」まで歩きました。「哲学の道」はうちの奥さんと結婚してすぐの頃に来ています。何度歩いても落ち着くところですね。
20111012-5.jpg 観光客も少なくてのんびりできました

20111012-6.jpg 澄み切った川には鯉が泳いでいました
 
結局、暑い中を1時間以上歩いたのでちょっと疲れて頭が痛くなっちゃいました(もしかして熱中症?)。なので頭痛薬を飲んで回復を待ちました。

その後、夕日が見たいと言ううちの奥さんのリクエストに答えて日本海へ車を走らせました。しかし、途中でまたもや頭が痛くなり天橋立がある宮津港までで諦めました(本当は鳥取砂丘で夕日が見たかったのですが。。)。
夕日が沈むまでに時間があったので、うちの奥さんの「釣りをすれば頭が痛いのも少しは良くなるんじゃないの?」との一言で、少しの間この港の岸壁で釣りをすることになりました。今回はルアー釣りでしたが、魚の気配もなく結局ボウズでした(^^;
20111012-8.jpg もっと自然な場所にあるところでないと釣れないかも

20111012-9.jpg 山に沈む夕日

このあと、京都へ戻り、レストランで夕食&時間つぶしを行いました。
うちの奥さんが乗る高速バスの時間が23:50発だったのでそれまでゆったりと。
そして時間通りにうちの奥さんは東京へ帰って行きました。

今年はもう夫婦旅行はしないと思いますが、来年は今年実行できなかった結婚30周年記念北海道旅行を何とか実行したいと思っています(^^)

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2011
10.11

恒例の夫婦旅行(2日目):千枚田&千里浜なぎさドライブウェイ

Category: 旅行
*夫婦旅行2日目(10/11)
この日はちょっと走行距離が長くなるので早めにホテルを出発。
最初の目的地は、能登半島の輪島の先にある「白米千枚田」。
これまで「白米」は、“はくまい”って呼んでましたが“しろよね”なんですね(^^;
ここへくるのは4度目くらいかなぁ。何故かうちの奥さんが気に入っちゃって‥
秋もいいけど田植え時の太陽が反射する初夏にまた来たいって(^^)
名前の通り、田んぼが1004枚あるらしい。小さいのは0.2平方メートル。
20111011-1.jpg 気持ちのいい日でした

20111011-1A.jpg 稲刈り取り後の田んぼ

この後は、石川県羽咋市にある「千里浜なぎさドライブウェイ」に行きました。
ここは日本で唯一、一般の自動車やバスでも砂浜の波打ち際を走ることができる数少ない道路。延長約8kmあります。夏の海水浴季節では無いので人も少なく、また思っていたよりも砂も硬くてとても走りやすかったです。
20111011-2.jpg 延々と砂浜が続きます

20111011-3.jpg 水際も走れます

20111011-4.jpg 砂浜に停車中のマイカー

うちの奥さんは海好きなので、リクエストに答えて片道8kmの距離を3回行き来しました(^^;

満足したあとは一路琵琶湖へ! この日は長浜のホテルに泊まります。
アッと言う間に2日間が過ぎてしまいました。続く‥


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2011
10.10

恒例の夫婦旅行(1日目):白川郷&のとじま水族館

Category: 旅行
この日から2泊3日の夫婦旅行に行ってきました(^^)
旅行好きの二人なので毎年3回はどこかに旅行してます。
今年も、6月に箱根、8月に伊豆半島を旅行し、3回目の今回は
岐阜県と石川県と京都府を巡りました。3日間の走行距離は
約1200km。ちょっと疲れましたが、思い出に残る旅行となりました!

*1日目(10/10)
今回もうちの奥さんが高速バスで東京から京都へやってきました。なんでも新幹線だと東京まで電車で行かないといけないので面倒くさいとか。確かに自宅近くの駅から高速バスに乗れば次の停車場所が京都なので便利ではあるけど‥
京都の新・都ホテル前に着くのが朝の5時35分なので、暗いうちに起きて車で迎えに行きました。バスは予定通りに到着。すぐに最初の目的地である岐阜県の「白川郷 合掌造り民家園」に向けて出発。今回の旅行の目的地はほとんどがうちの奥さんのリクエスト場所。喜んでくれるだけで私は満足です(^^)

まずは京都東ICから名神高速に入って東海北陸自動車道を通って白川郷ICで降り、近くにあった道の駅「白川郷」でトイレ休憩。そして、県重文9棟を含む25棟の合掌造りを保存、公開する博物館がある「合掌造り民家園」に向かいました。白川郷は世界遺産ということで団体さんも多くて混んでましたね。
20111010-0.jpg 駐車場近くの家はお土産屋さんばかり

とりあえず、敷地内を見学しました。場所によっては家の中に入ることもできます。昔の生活用品が展示され、合掌造りでの生活もうかがい知ることができます。
20111010-1.jpg 比較的大きな合掌造りの家

20111010-2.jpg 災害時に一時避難するための共同の家

一通り見学したら二人ともお腹が空いたので、民家園を出たすぐそばにあった蕎麦屋さんで早めの昼食。ここ白川は蕎麦の産地で有名だけあって美味しかったです。
20111010.jpg やっぱり本場の手打ち蕎麦はうまい!

民家園から川を渡った地域にも合掌造りの家が多く残っています。
20111010-3.jpg こっちの方が団体さんは多かった

お昼前になったので次の目的地である石川県の能登島にある「のとじま水族館」へ向かいました。ここへは以前家族で来たこともあり、思い出の地でもあります。
20111010-5.jpg 高さ7m、幅12mの大水槽

ここでは、イルカショーやアザラシの芸などを見たり、巨大水槽の中を優雅に泳ぐジンベイザメを見たりしてのんびりとした時間を過ごしました。やっぱり水族館はいいですね!
20111010-7.jpg 出入り口にあるジンベイザメの模型と記念写真

このあと、この日に泊まるホテルへ向かい、夕食で北陸の海の幸を堪能したのでした。つづく‥


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2011
10.09

思い出の扉:「アクシデント(2005.2.19UP)」

Category: 思い出日記
今回は旅行にまつわるアクシデントを書いた記事をアップします。
何かと旅行へ行く回数が多いので、その旅先で色んな事がありました。
でも旅行は趣味のひとつなのでこれからも色んな所へ行くんでしょうね(^^)

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*「アクシデント(2005.2.19UP)」
『私は若い頃から旅行が大好きで日本各地を旅行している。北は北海道から南は九州・沖縄まで。ただし飛行機が嫌いな為に電車か車での移動が多い(;^_^A
今回、独身時代から結婚後、そして家族での旅行中において、予期せぬ出来事に遭遇したいくつかの思い出をここで紹介したいと思う。

*独身時代
・会社のスキー旅行の帰り道、乗っていたバスに車が突っ込む
⇒私の成人式の日に企画された会社のスキー旅行へ参加。初めてのスキーに苦労しながらもチョットだけ滑れるようになり満足。そのスキー旅行の帰り道、日光付近のカーブで乗っていたバスに雪道で曲がり損ねた対向車の車がぶつかる。けが人は出なかったがバスが故障。日光東照宮で代わりのバスに乗り換えた為、我々のバスだけ帰宅が深夜に(T.T)
・房総半島旅行中に先輩の車が故障
⇒卓球部の人たちと1泊2日の予定で房総半島を旅行途中、鋸山ロープウェイ付近で、前を走っていた先輩の車が突然ガソリンスタンドに立ち寄った。ガス欠かと思ったら、オイル漏れだった。すぐに修理して事なきを得た。
・同僚と新潟へ旅行中にスピード違反で捕まる(友人が‥)
⇒会社の同僚と共に車3台に分乗して新潟旅行を計画。みんな若かったのでウキウキ気分で出発。関越道を友人の車と並走していると何故か友人の車が突然スピードを上げ、見えなくなってしまった。少し行くとネズミ捕りをしている場所を通過。その先に友人の車を発見。スピード違反で捕まっていたf(^_^) その時は、みんなで違反金を払った気がする‥

*結婚後
・うちの奥さんが会社の伊豆旅行中に下り坂でコケル
⇒結婚してすぐに同僚との伊豆旅行があり、うちの奥さんも参加した。2日目の朝、伊豆高原駅に向かう坂道で、なんとうちの奥さんが転倒。膝を擦りむいたが大したことなし。今でも何故か段差でよくコケル(^_^;
・東北地方への夫婦旅行において、一つの寝台で二人が寝る
⇒5月連休中に奥入瀬川&十和田湖巡りに出発。今回は寝台列車で青森まで行くことにした。まずは上野駅で列車に乗り込み、その日に寝る自分の寝台のところまで行ったところ、何と先客がいたw(゜o゜)w よくよく調べると、その女の子は間違って京都から1日早く来たらしい。仕方がないので上の寝台で女の子に寝てもらい、下の寝台で二人で寝ることに‥ 

*子供ができてから
・九州旅行において、長女が熱を出して病院に‥
⇒長女がまだ幼い頃、北九州地方を旅行。福岡県を移動中に長女が発熱。予定を変更して病院に連れて行き、診察を受けて薬をもらう。その甲斐あって次の日には熱は下がった。もしかして疲れたのかも‥
・九州旅行において、長崎の稲左山にて頭部を打つ
⇒長崎の夜景を見ようと稲左山に登る。展望台の階段で何故か手すりに頭をぶつける。せっかくの綺麗な夜景の記憶が頭から消えた(;^_^A
・九州旅行で長崎の雲仙に泊まる
⇒その次の年に雲仙岳が噴火。何だか泊まったホテルの温泉が熱かったような気が‥
・四国一周の家族旅行で、高知の桂が浜で長男が波にさらわれそうに‥
⇒長男がまだ3歳くらいだった頃、家族で高知県の桂が浜で休憩中にアクシデントは起こった。長男を海岸近くに立たせて太平洋をバックに写真を撮ろうとしていると、周りでざわめきが起こった。どうしたのかと思ったら長男の後ろから大きな波が押し寄せていた。アッと言う間に長男を波が飲み込んだ。偶然、長男は座り込んだ為、波にさらわれず濡れただけですんだが危なかった。太平洋の波はたまに大きいのが来るので注意が必要。
・中国地方への家族旅行において、鳥取砂丘で息子がコケて顔中砂だらけに(-_-;)
⇒私と長女と長男で鳥取砂丘を横切って日本海を見るために移動。途中で長男が急に走り出した。と少ししてコケた。汗をかいていたので予想通り顔は砂だらけ。そして砂が目に入ってしまい長男は大泣き。もう引き返すこともできず、我慢させて海岸まで歩く。しかし、海の水で目を洗うのもどうかと思ったが、泣いたお陰で目の中の砂は出たらしく着いた頃には泣き止んでいた(^_^;
・昨年の夏、家族で北陸地方(新潟県、富山県、石川県など)を旅行
⇒それから数ヵ月後、新潟中越地震が発生。

この他にも、小さなアクシデントは数知れず。でも思い出として話し合えるものばかりなので良かったと思う。』

《追伸》
昔から旅行が大好きで毎年2~3回出かけています。明日からも岐阜の白川郷と能登半島と京都をうちの奥さんと旅行をしてくる予定です。アクシデントも無く楽しい旅行になるといいんですけどね(^^)。
と言うことで、明日からのブログのアップは3日間無しです(^^;

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2011
10.08

思い出の扉:「高校の修学旅行(2003.9.6UP)」

Category: 思い出日記
修学旅行の思い出シリーズも今回が最後。
明日以降は、その他の思い出をアップした記事を昔のHPから
改めてアップしていくことにします。

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*「高校の修学旅行(2003.9.6UP)」
『今回は高校2年生の時の、関東地方への修学旅行(3泊4日)の思い出を書くことにする。
あ、その前に、酔い易い私が珍しく高校の修学旅行でまったく酔わなかった理由をここで
言っておかなければならない。実は大したことなくて、今までの酔い止め薬を「錠剤」から
「アンプル(液体)」に変えただけだったのだ(;^_^A
ちょっと高いけど効果は抜群で、これを飲んで未だに酔ったことは無い。
実は私の秘密兵器?なのである(^-^)v

スケジュール
・1日目:「高校」→「多度津駅」→「高松駅」→(船:宇高連絡船)→「宇野駅」

        →「岡山駅」→(新幹線)→「東京駅」→ホテル泊(東京都内)

・2日目:ホテル→「東京タワー」→「皇居」→ホテル泊(河口湖畔)

・3日目:ホテル→「富士五湖巡り」→「富士山五合目」→ホテル泊(木曽福島)

・4日目:ホテル→「寝覚ノ床」→「名古屋駅」→「岡山駅」→「宇野駅」

     →(船:宇高連絡船)→「高松駅」→「多度津駅」→「高校」


 私が3年間通った高校は「香川県立○○○工業高校」。実は、私の兄二人も同じ高校の電気科を卒業している。そういう私も電気科である。なので、先生も兄貴たちのことを知っていてちょっとやり辛かった。ところで工業高校なので女性が少ない。私のクラスは40人中1人だけ女性だった。全学年でも50人くらいしかいなかった。ということで、修学旅行もそんなに盛り上がらないものとなってしまった(-_-;)

・1日目
 朝起きて、朝食を食べて、酔い止め薬(アンプル)を飲んだと思う。それから自転車に乗って高校まで30分の道のりを頑張ったに違いない(もしかして列車に乗ったかも‥)。
高校に集合して、すぐ近くの駅から出発。土讃線で高松駅まで乗る。そこからは船(宇高連絡船)に乗船していざ、本州へ向かう(今は瀬戸大橋ができているので船に乗らないで坂出経由で本州へ渡れる)。岡山駅からは新幹線に乗って東京へ!(実は私が新幹線に乗ったのはこの時が初めてであった。流れ行く外の景色を見ながらスピード感を味わっていた)。
1日目に泊まったのは、確か「○○学生会館」だったと思う。そばに神田川が流れていた。この日の夜、私の兄貴(長男)とその友人が私が泊まっている所まで来てくれた。実は兄貴は東京の国分寺市にある会社へ勤めており、都内を案内するためにわざわざ来てくれたのだった(それから2年後、私は兄貴と同じ会社に入社することとなる)。まず行ったのが、霞ヶ関ビルの最上階のレストラン。ここから見た夜景がきれいだった。その後、街中を歩いた。途中でTVか映画のロケをやっていたのを覚えている(“太陽にほえろ”か“西部警察”)。それから「国技館」や昔の「後楽園球場」の前を通って宿に帰ってきたと思う。
今でも兄貴たちの思いやりをありがたく思っている。

・2日目
 この日は東京の名所巡りであった。
有名な「東京タワー」や「皇居」や「国会議事堂」なんかに行った。また、どこかの新聞社にも行って新聞を作るのを見学した記憶がある。
今回の修学旅行では、「東京タワー」でお土産を買った。「根性」と書かれた置物とペナント。「東京タワー」にはそれ以降、うちの奥さんと一度だけ登ったことがある。
東京見物をしてからバスで次の目的地の「河口湖」へ向かった。たぶん、中央高速を通って行ったことだろう。今でも浅川にある色んなホテルを見ながら「修学旅行で泊まったのはどのホテルだったんだろうか」って思う。でもオイルショックがあったのでもう潰れたかもしれない。次の日に富士山をバックに記念写真を撮ったので浅川付近であることには違いないのだが‥ この時から私にとって河口湖とは縁があったらしい。

・3日目
 この日はまずは富士五湖巡り(河口湖、山中湖、西湖、本栖湖、精進湖)。全部周ったかどうかは定かではない。確か富士五湖では、風穴?のようなところにも行った記憶がある。次は、富士山の五合目まで登った。この時にはとっても寒くて霧が出ていた(その時以降、何度か五合目まで登ったが下界まではっきり見えたことはまだ無い)。いつも河口湖から富士山を見ているが、お天気が良くて雲のない日には今度富士山に登ってみるか(^-^)
それからは中央高速を通って木曽福島へ向かった。実はここの宿で事件が起こった。なんと男子学生の一部が女子の風呂を覗いたということである。もちろん私ではないf(^_^)
そんな感じでこの日も終わった。

・4日目
 最終日がやってきた。この日は「寝覚めの床」をみてあとは帰るのみ。名古屋駅から新幹線に乗って、来た時と同じルートで無事帰ってきた。

  ⇒3泊4日の高校の修学旅行も何とか終わり、私の青春時代が終わった。ってなわけないか(o^_^o)  』

《追伸》
修学旅行をきっかけに私は旅行好きになったみたい(^^)
今まで生きてきた中で記憶している旅行の奇跡をいつの日か
まとめてアップしたいなって思っています。
あそうそう、来週の月曜日(10/10)から2泊3日でうちの奥さんと
白川郷と能登半島と京都を旅行する予定です。なのでその間は
ブログのアップが滞りますのでよろしくお願いします。
もちろん旅行の思い出は、後日アップします(^^)
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2011
10.07

クラブの月例会結果(10/7)

Category: ボウリング
☆クラブ月例会(10/7)
同じボックスは、Ko野さんとT内さんと女性のK山さん。

・1G目:内側はちょっと速めのレーン。10ピン残りが多い。
後半に外側に切り替えてからはストライクが連発。4thで198点。

・2G目:ターキースタート。しかし、5フレでイージーミス!
6フレからは6thが出て。久しぶりの250UP(252点)。

・3G目:ストライクが出なくなり、我慢するも194点で終了。
前半は何とかプラスの644点で終了。

・4G目:移ったボックスは荒れたレンコン。オイルが変についてくる。
ダブルがあるもののスプリットオープンも出て193点。

・5G目:3回もオープンが出て痛恨の164点。ガックリ!

・6G目:最後は頑張って2回ダブルを出して203点で終了。

最終結果:合計1204点(アベレージ200.7点)で11位。
たけやんさんとの勝負は5勝1敗と久しぶりの勝利。
今回のオープンは10個(内イージーミスは4個)。

………………………………………………………

*吉祥院クラブの月例会結果(4月~)
・ゲーム数:120G
・アベレージ:205.2点
・ハイゲーム:300点
・イージーミスの回数(1G当り):0.43回

*年間結果(京都での月例会や対外試合などすべて)
・合計ゲーム数:192G
・アベレージ:204.1点
・ハイゲーム:300点
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2011
10.06

思い出の扉:「中学の修学旅行(2003.8.23UP)」

Category: 思い出日記
今日は、中学2年の時に行った修学旅行の記事のアップです。
4泊5日で北九州を巡ってきましたが、私にとっては辛い旅行と
なってしまいました(泣)

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

*「中学の修学旅行(2003.8.23UP)」
『スケジュール
・1日目:「中学校」→「松山港」→(船)→船中泊

・2日目:「小倉港」→「西海橋」→「長崎原爆ドーム」→ホテル泊(長崎市内)

・3日目:ホテル→「天草五橋」→「熊本城」→ホテル泊(阿蘇市内)

・4日目:ホテル→「阿蘇山」→「別府地獄巡り」→ホテル泊(別府市内)

・5日目:ホテル→「別府港」→(船)→「松山港」→「中学校」

実は、私は小さい時から乗り物に酔いやすかった。というか、回転系には弱かった。小学校での体育でやった床運動。前転や側転でしょっちゅう気分が悪くなっていた。
どうしてこんなにすぐに酔いやすくなったのかを、母に聞いたところ「小学校2年の時に、友達に突き飛ばされて机の角で頭を打ってから」だと言う。ほんとかどうかは定かではないが、一度、頭のCTスキャンを撮った方がいいのかもしれない(;^_^A

今覚えている中で最初に酔った記憶は幼稚園のバス遠足。行った場所は「高松空港」と「栗林公園」。行きのバスの中では一番後ろの座席に座って、後ろから来る車を見ながらみんなで騒いでいたような気がする。これがいけなかったのか、「高松空港」に着いた頃には気分が悪くなっていた(この時に撮った写真が田舎にある)。そして、この遠足での一番の思い出は、「栗林公園」でのお弁当の時間。この頃には意識が朦朧としていて、なんとお母さんが朝早くから作ってくれていたお弁当を落っことしてしまったのである。その時は先生がお弁当を分けてくれたと思う。今でもこの時のなんともいえない寂しさ(申し訳なさ)をたまに思い出す。お母さん、どうもすみませんでしたm(_ _)m

さて話を本題に戻そう!
ということで、乗り物酔いしやすい私は、この中学時代の修学旅行でも酔ってしまった。

初日からして、もうダメだった。「中学校」からバスに乗ってフェリー乗り場の「松山港」に着いた頃には酔っていた。もちろん、船の中では寝れるはずもなく、死ぬ思いをしたのは言うまでもない。

2日目の「西海橋」の頃はなんとか頑張ったのだが、「長崎原爆ドーム」に着く頃にはやっぱりダウンしてバスの中で寝ていた。よって、ここで撮った全体写真に私は写っていない(T.T)

3日目にもなると、段々バスに慣れてきたのかどうかわからないが、なんとかなってきた。なので、「天草五橋」や「熊本城」での全体写真には写っている。それにこの時の記憶は今でも鮮明に覚えている。

実はこの熊本のホテルに泊まった日に、どこかのホテルで火災があって多くの人が亡くなった。このTVニュースを見ながら、「もしこのホテルが火事になったらどうしよう」なんて心配しながら寝た思い出がある。

次の日の「阿蘇山」はとても綺麗だった。前の日が霧でよくわからなかったのだが、外輪山の眺めは壮大でもう一度きたいと思った(何を隠そう、これ以降、もう3度も阿蘇山に旅行してしまった)。

その日以降はもう帰途に着くための日程だったのであまり思い出もなく、「中学校」に着いた頃には、倒れそうだった。でも、無事帰って来れたので良しとしよう。

このように車に酔いやすい私が高校の修学旅行ではまったく酔わなかった。それな何故か?その真相は次回にまわそう(‘ー‘)/~~ 』

《追伸》
小さい時から酔い易い体質のため、車はもちろん、船もダメでした。
初めて車を買って自分で運転した時にも途中で気分が悪くなったことがあります(^^;
そんなこんなで釣りは陸っぱり専門です(笑)

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2011
10.05

思い出の扉:「小学校の修学旅行(2003.8.9UP)」

Category: 思い出日記
今回から3回に分けて修学旅行の思い出を書いた記事をアップします。
私がこれまでに経験している修学旅行は3回あります。
(1) 小学校6年生の時:「高知県」(1泊2日)
(2) 中学校3年生の時:「北九州一帯」(4泊5日)
(3) 高校2年生の時:「関東一帯」(3泊4日)

最初は小学校時代の修学旅行についてです。

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*「小学校の修学旅行(2003.8.9UP)」
『小学校6年生の時に行った修学旅行のスケジュールは以下の通り。

 ・1日目:「金蔵寺駅」→「高知駅」→「高知城」→「桂浜」→ホテル泊(高知市内)
 ・2日目:ホテル→「はりやま橋」→「大歩危、小歩危」→「金蔵寺駅」

小学校の修学旅行は、地元香川県から隣の高知県までの電車旅(土讃線)であるが、これまでに電車で遠出することがほとんどなかった私にとって、電車に乗れるということだけでウキウキしていたのを覚えている。

当日は学校集合ではなくて、小さな駅(当時は無人駅)に集合した。電車は「急行」ではなくて「鈍行」だったような気がする。まあ、のんびりと電車旅を楽しもうといった感じなのか。あそういえば「電車」ではなくて「列車(気動車)」であった。ここで訂正しておく。

みんなでワイワイ言いながら数時間の列車旅の末、「高知駅」に到着した。ここからはバスに乗り換え。最初に行ったのが「高知城」。ここの天守閣へ登るのは案外急で、疲れた記憶がある。実はこの時にお城に登ったことが、それ以後の旅行(個人的な旅行)では各地域のお城巡りをするきっかけとなったのである。ここでこれまでに立ち寄ったお城を列挙しておく(城跡も含む)。「高知城」「丸亀城」「熊本城」「大阪城」「姫路城」「岡山城」「名古屋城」「富山城」「弘前城」「島原城」「古里城」「函館五稜郭」「青葉城址」‥

本題に戻ろう。「高知城」の次は観光名所のひとつである「桂浜」に行った。ここには坂本竜馬の銅像が建っていることで有名なところなので知っている人も多いと思う。この砂浜は太平洋の荒波のため急な勾配のところがある。たまに太平洋特有の大きな波が来ることがあるので気をつけないといけない(実はこれより20数年後、家族旅行した時に息子(当時保育園)が波にさらわれそうになる事件が勃発することになるのであるが)。みんなで太平洋の荒波を見ながら「すごい~!」と叫んだのを微かに覚えている。実はあまり目立たないが、ここに小さな水族館がある(この中のお店でサンゴでできた飾り物を買ってきて、東京に就職に来るまで田舎の机の上に飾っていたのだった)。
その日の夜に泊まったホテルで「土佐犬」と「尾長鳥」を見せてくれた。高知県の名物なので連れてきてくれたのであろう。

2日目は「はりまや橋」を見学。この橋の下には水が流れていないのは有名。この近くのお店で「鰹節」「かんざし」を買って帰ってきた(一応、これも高知の名物なので)。家に帰ってから「鰹節」を削ってもらったのを覚えている。もちろん「かんざし」はお母さんへのお土産!

1泊2日の修学旅行も無事終わり、初めての遠出も楽しく終わることができた。それから1ヵ月後にこの修学旅行の出来事を劇にして私たち6年生が全校生徒の前で発表したのを覚えている。よき思い出である。』

《追伸》
もうこれから修学旅行へ行くことは無いでしょうね(^^;
友達とワイワイ言いながら初めての土地を巡ったのがいい思い出です。
団体で旅行をする機会もめっきり減った今日この頃です!




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2011
10.04

思い出の扉:「新婚旅行(2003.7.27UP)」

Category: 思い出日記
今回は新婚旅行のことをアップした記事を載せます。
もう30年前のことなんですね。ちょっと前の旅行のように思えます。

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*「新婚旅行(2003.7.27UP)」
『ついに昭和56年6月1日(月)にめでたく結婚。私が23才、彼女が21才になったところだった。今思うと二人とも若かった。そういえばもう私の一番上の娘がそういう年頃になってきた。あと2~3年で昔の彼女と同じ年令になる。今の娘があと数年で結婚するなんて考えられない‥

話を元に戻そう!
その日のうちに無事結婚式&披露宴を終えた二人は、着替えて電車に飛び乗った。行き先は羽田空港内のホテル。今日はこのホテルで1泊をしてから次の朝、沖縄に向けて飛行機で旅立つ予定になっていた。今回初めてモノレールというものに乗った。そして初めて羽田空港に来た。そして初めてホテルのレストランで豪華な食事をした。二人の門出なのでちょっと贅沢をした。

ちょっと、話を数ヶ月前に戻そう!
実は新婚旅行をどこにしようか相談した時に、最初は「海外に行こうか」との案もでた。それから色々考えて「ロタ島」にしようかと思った。しかし、その頃は「海外へ行く為に面倒くさい手続きが必要で、検査もしないといけない」とのイメージがあった。なので「どうせなら北海道1周ってのもいいんじゃない。食べ物もおいしいし」と彼女にいったところ、「できれば、のんびりしたい。北海道じゃ回るだけで疲れてしまう。」と言う。確かに北海道は新婚旅行としてはハードだ。それでは「沖縄の与論島に行こう。この島でのんびりしょう」ということになり、急遽「沖縄&与論島」に行き先を変更したのだった。

話を飛行機初体験の当日に戻そう!
今回の新婚旅行の行き先が与論島ということは電車や車や船ではあまりに遠すぎて現実的ではない。仕方なく、というかこれしか選択肢が無くて飛行機にした。私は飛行機を見るのは好きなのであるが、乗るのは嫌いだ。できれば飛行機には乗りたくはなかった(基本的に地面に足が着いていない乗り物はダメなのだ)。

一応、新婚旅行ということでジャンボ機のファーストクラス(2階席)であった。出発時間が来たので飛行機に乗り込み、心の準備を済ませた(皆さんはよく飛行機を使われているのでなんともないと思うが、初めての私としては恐怖に苛まれていた)。そして時間が来て、飛行機が滑走路を動き出し、飛び立つ姿勢に入った。しかし思ったよりも簡単に離陸し、あっという間に東京上空を通り過ぎて行った。ここまでくると開き直りというか諦めというか何故か落ち着いていた。そしていつの間にか沖縄の海や島が眼下に見えてきた。その頃には恐怖は消えていた。

初日は沖縄の史跡巡り。どんなツアーだったかというと、太平洋戦争の足跡を辿って行くもので、回るところが「マブニの丘」「ひめゆりの搭」など、戦争の傷跡が残る場所ばかり。新婚旅行にはちょっと合わなかったと反省している。

与論島には船で渡っていった。着くとそこはどんよりした曇り空。6月に入って沖縄は暖かくなってきている。船を下りるとそこは何もない。そして誰もいない。なんと迎えの人が来ていないのである。ちょっと不安が横切った。どうすればいいかわからない。仕方がないのでホテルに電話。少ししてジープが迎えに来た。そして着いたのが小さなホテル。でも雰囲気はいい感じ。とりあえず夕飯を食べた。予想はしていたがこってりした肉料理がメイン。私の苦手な料理であった。

次の日は観光がメインだった。この日もジープに乗って回った。私達の他に二人いた。まずは、ハイビスカスなどの熱帯植物が生い茂った植物園に向かった。ここは沖縄に来たって感じの場所。そのあと、城跡へ行ったり、海の中にある砂浜へボートで渡ったりした。この砂浜は干潮の時しか渡れないところで、「取り残されたらどうしよう」なんて不安がっていたりした。なんたってボートが一旦本島へ戻るんだから‥

次の日は海水浴をしたりお土産を買ったりして過ごした。沖縄にはハブがいるので有名だが、この与論島にはいないらしい(不思議なことに1つ置きの島にハブがいるらしい)。与論島ではゆっくりできて良かった。

最後は、また沖縄に戻ってきた。そして守礼門やその他を見学をした後、帰途についた。もちろん帰りもジャンボ機だった。2回目のフライトだったので余裕?でもなかった。乗ったのが翼の横だったのだが、飛行中はこの翼が大きく揺れて、翼が取れそうに見えるのである。ちょっと怖かった。でもなんとか新婚旅行も無事終わり、次の週からいつもの会社生活が始まった。あっという間の4泊5日だった。

《追伸》
・最後の沖縄のホテルで「思い出の缶詰」を造った。これは相手への手紙や思い出の品を入れて缶詰にしてくれるのである。そして「10年後に開けようね」と約束したが未だに開けていない。もう30年以上経っているのに‥
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2011
10.03

思い出の扉:「結婚(2003.6.30UP)」

Category: 思い出日記
いよいよ人生における大きな行事?である結婚が近づいてきました。
色んなことがあったのですが、その経緯を書いた記事のアップです(^^)

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*「結婚(2003.6.30UP)」
『彼女との付き合いも3年目に入り、急激に“結婚”へと突き進んでいった。

この時点で私はまだ23歳。まさか自分がこんなにも早く結婚するとは夢にも見ていなかったし、先輩からは「結婚は人生の終わり」とか「結婚すると遊べなくなる」とかあまり良い話は聞いていなかったので少なからず抵抗はあったと思う。でも、「結婚することによって新たな人生が開けるのではないか」とか「彼女といつも一緒にいられるのなら多少のことは妥協できるかも」と思い、最終的には結婚する方向で心が決まっていった。

結婚は二人の責任でするものだと思っていたが、現実には色んなところへ波及していく。家族、会社、社会‥。今回の結婚に対して、両方の親は反対もせず応援してくれた。会社の部長はまだ二人が若いこともあり色々と心配してくれた。職場の同僚も素直に喜んでくれて二人を祝福してくれた。ほんとありがたいことだ。

本格的に結婚が決まると色々な手続きや手配が必要となる。面倒ではあるが頑張ってこなしていった。

まずは結納。彼女のお母さんとも相談して形式ばったことはやらない方向で決まった。もちろん私の親もOK。二人はまだ若いので無理をしないでもいいということだった。

次は指輪。一応彼女の意見も聞いて婚約指輪は作らなかった。でも結婚指輪の方は結婚式で必要だし彼女がほしいと言うことで作った。デートの時にジュエリーショップに寄って色々と調べた。その結果、主体がシルバーでエッジ部がゴールド、トップに3個のダイヤ入りのものを作ることにした。もちろん、安くあげた。二人とも将来の生活にお金を使いたかったから。実はこの結婚指輪も1年くらいでお互いに外すことになったのだが‥

そして問題の住む所。できれば結婚するからには新しい家で二人きりで住みたい。でも二人とも若いので自宅は建てられない。なので出来れば会社の社宅に入りたい。が、しかし、その頃の我が社には社宅に入るのに年齢制限があったのだ。確か、28歳だったような気がする。考えてみれば、若い人ほど給料が安いのだから民間のアパートよりも家賃の安い社宅に入りたい。でも何故か入れない。矛盾を感じたのはいうまでもない。また将来若くして結婚するであろう人達の為にもこのことを所属部長に相談した。すると部長は総武関係者に取り合ってくれて、そして返ってきた総務関係者の返事は「例外を認めるわけにはいかない。これまでも適用年齢になるまで待っている人がいるから」。確かにそうかもしれないけど、現状では社宅はガラガラなのに何故入れてくれないの?って感じ。大企業は融通がきかないものだと痛感した。結局、埒があかないので、自分達で安い民間のアパートを八王子市で探した。当時(22年前)、2DKで45000円だったと思う(一応、風呂とトイレ付の平屋1軒建て)。ここで半年間の新婚生活を送ることになる。

そしてメインの結婚式&披露宴。一応ケジメの意味で結婚式はやることにした。ただし、二人はまだ若かったので、親類や親しい友人や会社の上司などの少人数であまりお金をかけないでやることにした。ということで、会場も高級ホテルなどの結婚式場ではなくて当時住んでいた八王子市の福祉会館を予約した。ここは市民であれば安く結婚式が上げられるということで先輩が教えてくれ、結局ここに決定した次第である。最終的には、人数は30人くらいだったと思う。実はこの披露宴に来られない会社の人のために、彼女の同期と卓球部のメンバーが主体となって、新婚旅行から帰ってきたあとで会費制のお披露目会を開催してくれた。それも、会費の中に記念品代としていくらかの金額が含まれており、それを元に私達の好きなものをプレゼントしてくれたのである。本当にこの時に企画してくれた人達に感謝の気持ちで一杯だ。

話を結婚披露宴に戻そう。結婚式は彼女の希望で仏前結婚。披露宴ではドレスと着物を着ることで決定。もちろんレンタルで借りて。現代のように何度も衣装は替えなかった。披露宴の司会は、卓球部の元キャプテンと彼女と仲のいい女性。この二人には色々とご迷惑をおかけした。実は私達の結婚披露宴の後にもう一組入っていたので決まった時間に終わらないといけなかった。しかし、よくある話で披露宴の時間が延びてしまったのである。お二人は会場と事務所を行ったり来たりして時間調整をしてくれたのである。今でも元キャプテンは酒の席でよく話題にしている。相当苦労したのであろう。また、披露宴の案内状は、手作りである。彼女の同期の女性が色々と志向を凝らして作製したのである。ここには写真付きで二人のナレソメや質問コーナーがおもしろくまとめられている。もちろん今でもこの案内状は保管している。披露宴自体は普通の式次第で進められた。今では式の模様をビデオカメラに収めるのであろうが、当時はまだ普及してなかったのでなんとカセットテープに声だけ録音したのである。でも披露宴はやってよかったと思う。いい思い出としていつまでも心に残しておきたい。
結婚披露宴のあとは新婚旅行(沖縄・与論島)へ旅立つこととなる。それらに関しては次回の「新婚旅行」に書くことにしよう。』

《追伸》
今年の6月1日で結婚30周年を迎えました。アッと言う間でした。
これからも二人仲良く生涯を共に生きていきたいと思います(^^)
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2011
10.02

思い出の扉:「デート(2003.6.10UP)」

Category: 思い出日記
ちょっと間が開いてしまいましたが、今回は専門学院から会社に戻ってきてから結婚するまでの1年間の思い出を「デート時代」と題して書いた記事をUPします。

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*「デート(2003.6.10UP)」
『 人生一代の危機?を乗り越え、お互いの気持ちを確かめ合い二人の絆は深くなっていった。会社に戻ってきてからも、二人での行動は続けていた。会社への通勤時も一緒であった。個人的には、人に隠れてコソコソ付き合うのは好きではなかったので会社の人にはオープンにしていた。朝は同じ電車で国分寺駅まで乗り、そこから会社まで二人で歩いていった。また帰りもいつも一緒であった。どちらかが残業をする時も終わるまで待っていた。そして帰りは必ずどこかの喫茶店に立ち寄って食事をしていた。この頃は食事の代金の支払いは必ず私がやっていた。でも出所は二人のお金なのである。支払いを毎回男性が出すのも大変だし、かといって毎回割り勘にするのも面倒だし、女性が支払うのも男性がかっこ悪いし。そこで考えたのが二人貯金。毎月二人で同じだけお金を出し合ってそれを私が所持する。食事代などはその貯めたお金から私が支払う。もし途中で無くなったらまた同じだけ出し合う。こうすることにより、男性の面子?は立つし、清算も楽だし、お互いに納得がいくし。今思うと、合理的なやり方だったと感心する。
会社以外でも二人での行動は続く。休日になると毎回のようにデートに出かけた。有名なほとんどの公園は行ったと思う。またこの頃は映画も良く見に行っていた。例えば、「E.T」「チャンプ」「ロッキー」「ロマンス」「ロミオとジュリエット」「ビッグウェンズデー」「南極物語」「小さな恋のメロディー」‥ あと忘れた。そして帰りには必ず彼女を西八王子まで送っていき、いつもの「ロンロン」の喫茶店で“小倉ホットケーキセット”を食べていた。あと良く行ったお店は「ピッコロ」。ここのスパゲティーは最高だった。「北欧」にもよく行ったな。それと飲み屋にも金曜日の夜はよく行っていた。「あかちょうちん」が懐かしい。
こんな感じで彼女とのデートでは必ず食事をしていたのでお金がかかって仕方が無かった。
そこで得た結論が結婚!いつも一緒にいられてお金もそんなにかからない。これは結婚しかない。若かった二人の発想はこんなものだったのかも。またプロポーズをした記憶がない。この頃にはお互いに結婚が当たり前の雰囲気になっていたのだろう。
結婚を決めてからは具体的に結婚計画を進めていった。とりあえず彼女のお母さんに会って結婚の承諾を得た(お父さんは彼女が小学校の時に亡くなっている)。そして結婚式を昭和56年6月1日(月)に決めた(「ジュン ブライド」に結婚したかったのと結婚記念日を覚え易い日にしたかったので)。お互いにまだ若かったので、結納とか婚約指輪の交換などはしなかった。このように順調に見えた結婚もいくつか困ったこともあった。
それに関しては次回の「結婚」で書くことにしよう。』

《追伸》
今振り返るとデート時代は色んな公園や建物に行った気がします。
特に新宿界隈や原宿、渋谷方面には何度も行った様な‥
映画館へ見に行くのは結婚してからピタッと止まりましたね。
今ではほとんどTVかレンタルで映画を見ています(^^;
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2011
10.01

単身赴任生活も10年目へ

Category: 仕事
ちょっと前に単身赴任生活を始めたかなぁって思っていたら、もう今日から10年目に突入します。月日が流れるのはほんと早いなぁって実感します。
結果的には、茨城が7年、京都が2年単身赴任をしてきました。長ければ定年まで続いていきますが、健康には気をつけて家族の為にもう少し頑張っていきたいと思います。

最近は、東京の自宅に帰るのが2ヶ月に1回のペースとなってしまいました。6月2日に産まれた2人目の孫(嵐丸君)にはまだ2回しか会ってません。今度自宅へ帰れるのは、関東へ出張する11月初旬になりそうです。もう嵐丸君も大きくなってるんだろうなぁ~

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